波動を近しくする人と一緒にいると、一つひとつの言葉が心の奥深くまで浸透し、とても気持ち良く楽しい時が流れます。
自分を大事にしている人と言葉を交わすと、真っ直ぐに向き合ってくれ、それがそのまま私も大事にされていると感じられます。
そこに費やされた時間は、とても有意義で、愛が凝縮されていることが、そこから離れたときに幸せな気分の余韻で分かります。
短い時間でも、とても深く心に染み入り、1秒1秒にこめられたエネルギーが、どれだけ豊かであるのかが、軽やかな心地良さとなって記憶されます。
さて、その逆はどうか?
心の位置が違う人と話をすると、どんなに言葉を労しても、一向に伝わらず、聞きたいことが聞こえてこない。
昨年の後半になって、そんな体験を何回かしました。
その誰も、できればこれからも、楽しくお付き合いしたいと願っていた人達で、遠ざかろうとかご縁を終わりにしようとか、これっぽっちも思っていなかったのに、どうしても距離を置かざるを得なくなりました。
それに対して、まるで入れ替わるかのように、少ない言葉で魂の深いところまで分かり合える友人との心地よい時間をたくさん持てるようになりました。
スピリチュアルな歩みを始めると、表向きの社交辞令だけでお付き合いすることが難しくなります。
自分を掘り下げて見つめる習慣が身に付き、嘘偽りのない真っ直ぐな自分と共にいるようになると、そうでない人との表向きの対話が楽しくなくなります。
そもそも、楽しいと錯覚していただけで、魂はちっとも喜んでいなかったと分かってしまうと、そんな表向きの言動を採用することはできなくなるのです。
それでも、小綺麗な言葉を並べられて、心から思っていると伝えられると、まるで目くらましに会ったかのように、一瞬受け入れそうになることもあります。
それは、その言葉を受け入れた方が、心地よいからです。その方が、信じていれるし、信じていた方が楽しいからです。
言葉通りと信じられたら、その方が関係が保たれ、意味不明な安心感が得られるのです。
そうやって、人の嘘を嘘と分かりながら信じようとし、自分を騙すと、やはり残るのは居心地の悪いエネルギーです。
人が持つエネルギーは、そこから離れたときに、感覚的に残ったものが真実。
どんなに美辞麗句を並べられたとしても、愛がそれに伴わないときには、そのミスマッチが心地悪さとなって残ります。
昔から、人をすぐに信じてしまい、すぐに騙されて、後からガッカリすることがよくありました。
確かにガッカリしました。
しかし、実際は、やっぱり、それが嘘だと気付いていたから、やっぱりと逆に納得する結果となりました。
それは、その場では信じたとしても、後から一人になったときに、その人が発していたエネルギーを感じ取っていたからです。
そのエネルギーを解釈するのに、昔は2〜3日かかりました。
今や、その不快なエネルギーは、その場で感じられ、魂の奥底がオーラの外で受け入れを遮断しています。
昔と違うのは、オーラの中までその振動が入ってこなくなったこと。
だから、“外”で語られる魂の真実から遠い言動は、心に何も響かず、その人が自己一致していなと伝わり、その言葉には何かが隠されていることが分かるのです。
自分のいる波動ゾーンと、著しく離れている人と交流を持とうとすると、しばしばこのようなことが起こります。
言葉だけに惑わされないで、そこから離れて独りになったとき、そのとき残っているエネルギーを感じ分けていきましょう。
その心地悪さの意味を知ると、言葉の裏に隠された何かが分かります。
それを理解したら、その先は自分の心に聞いて決めましょう。
ただ、人が懸命に隠した本音が分かったとしても、外で伝えたことは「そう思って欲しい」との願いです。
それをそのまま、そう思ったことにしてあげるのも思いやり。暴きたてないで、その人が選んだその人の道を信頼することも大切です。
自分が波動のエアポケットに落ち込んでしまわなければ良いではありませんか。
合掌。
■魂の転生を語る寺尾夫美子の新刊 2010年1月9日発売!
「オーラレッスン」〜魂の目的を生きるために〜 (河出書房新社)
■寺尾夫美子公式サイト フム アル フート「スピリチュアルヒーリング」スクールとセッション
http://www.fumalhut.com/
■フムアルフートブログ『上用賀便り』スクール/ワークショップ情報と寺尾夫美子の自由日記
http://d.hatena.ne.jp/kamiyogadayori/