
「脳死は人の死」とする臓器移植法案が衆院で可決された。
えらいことになったと思う。
以前から、魂の存在を伝えてきたけれど、そこには魂のことなど盛り込まれていない。
これは、人間が、脳の活動によってのみ生きているとする考え方なのではないか?
人間は、「肉」だけでは成り立たない。魂というエネルギー体が入り込んで、考え行動する人になる。
脳を含めて、肉体の総ての臓器や器官は、魂のエネルギーによって活動する。生きているとは、魂が肉体の中に存在していることを指していると考えている。
そもそも、死んでしばらくの間は、魂のエネルギーが保たれたままだ。魂はゆっくりと肉体から出ていく。そのため、昔のお葬式は、臨終が確認されてから、何日も後に行われた。
細胞の隅々にまで、魂のオーラが保たれているのだから、それが全部出て、肉体の外でアストラルボディが成立しなければ死とは言えない。
脳死ではなく、事故などで肉体が壊れきった時でさえ、オーラが出る前に臓器を切り取り、取り出したりしたら、アストラルボディが部分的に欠けた状態になってしまう。
次の転生の際に、失ったオーラのせいで、肉体造りが完成できないかも知れないと、以前から気になっている。
または、そうやって、内臓疾患を持って生まれてくることになるのかも知れない。
それに、オーラが抜けきらない臓器を移植すると、その持ち主の記憶も一緒に持ち込む。移植後から、性格が変わったとか、好物が変わったとか、提供者の記憶らしき夢を見たり生前の生活を思い出したりする話しが、よく伝えられている。
まさしく、オーラもろとも移植したと言うことだし、それはつまり、提供者はまだ生きていたと言うことなのだ。
それはさておき、今度は、まだ生きているのに、脳が活動しないと言うことで、人の死と決めてしまうことになった。
肉の内、脳が活動を停止したら、それは死なのか?
魂がそばにいて、自分の肉体を見守っている。脳以外の部分には、しっかりと魂が宿っていて、「身動きが取れない人生」と言うテーマを生きているというのに。
脳が死んだら、人の死と決めて、呼吸してそこにいる人を、他の人の命のために、命を奪っていいのか?
この法案可決により、それは堂々と行えることになった。
臓器を移植することさえできれば、この人は生きられるから・・・。
と、家族達は望むのだろうけど、魂の観点から見たら、そもそもそのつもりで生まれてきたはずだ。そのような肉体に誕生することを、魂が望んで、魂自ら決めて、誕生してきたはずだ。
それを、転生のチャレンジにして誕生してきたのではないのか?
と、私は思う。
短くても、精一杯、自ら選んだ人生を生き抜くつもりなのではないのかしら?
この答えがでるのは、まだまだ先のことになりそうだ。
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