スピリチュアルメッセージ from 寺尾夫美子

スピリチュアルヒーラー寺尾夫美子がお届けする導きからのメッセージ

アセンションのとき

fumalhut72008-09-21

ある日の午後でございます。
お釈迦様は極楽の蓮池のほとりで、
のんびりと下を眺めておいででした。


と、こんな出だしだったでしょうか?
芥川龍之介の『蜘蛛の糸』。


このとろこ、急にこの物語が思い出され、その様子を今のアセンションのときと重ね合わせて見るようになりました。
この物語を初めて読んだのは、中学一年の時だったと思います。
仏教系の学校に入学し、週に一度の仏教の時間に使う教科書にこのお話があったのだと思います。
仏教の時間では、このお話を始め、仏陀の生い立ちから教えまで、高校の卒業までの6年間の間にたくさん学びました。
そのお陰で、女子高生時代は、当たり前のように仏教用語が日常会話に登場していました。
ちょっと大人になると、“誰々は悟りをひらいたらしい”とか、“このごろ唯我独尊じゃない”とか。
今思うと、大変面白いです。


さて、中学生で蜘蛛の糸を知った私は、道を歩くときに蟻などの小さな虫を絶対に踏まないようにしました。
登場人物がお釈迦様に助けの糸を降ろしてもらえたのは、蜘蛛(蟻ではなく)を踏まなかったたったひとつの善行によるものです。
助けてもらいたいからではなく、蜘蛛のような小さな命も大切にすること。私はこの物語からそれを学びました。
それが今でも習慣になっていて、ウォーキングの際には蟻を避けること必須です。


最近、ふと“何故糸なのか?”と考えました。

すると、現在がアセンションに向かっていることとリンクしました。
蜘蛛の糸を辿って極楽へ上がるその図は、単に成仏することではなく、霊的な成長を遂げ次元上昇の波にのってアセンションすること。
その時に、自分に追従する他の魂達と共にアセンションを果たすこと。
生きては勿論のこと、この世の生を終わったあとの霊界までの道のりを、幽界に漂う想念の世界に引っ張られることなく、無事に到着すること。
自分の分霊である過去生の魂の中で、想念の世界で迷い彷徨っているものがあれば、それらを全てすくい上げて到着すること。
ひょっとすると、霊界で集合している他の分霊達の中から、自分は自分を救済するために地上に誕生してきたのかもしれないのです。
生きていても想念に振り回されるのが人間。それが肉体を失い、念だけの存在になったとき、自分も再び想念の世界に留まってしまわないとは限らないのです。
そのために、生きて想念を乗り越える様々なトレーニングを、これでもかこれでもかと体験している。
と、考えると、人生に試練が多いことも納得できますね。
肉体のあるうちに、とことん自己鍛錬をし意識の中から一切の恐れと疑いを消し去ってでないと、彷徨う分霊を救済するどころか、自分も共に彷徨うことになってしまう。
そして、アセンションの時代に生きる魂にとって、恐らくこれが最後のチャンス。
私の魂にとってこの人は、覚悟の転生なのでしょう。
だから今こそ魂の覚悟を自覚して、そして蜘蛛の糸が降りてきたら、どれだけ後に多くの魂が連なろうとも、真っ直ぐ上を目指して共に登りたいと思うのでした。
合掌。



*『蜘蛛の糸』 
ある日の事でございます。御釈迦様は極楽の蓮池のふちを、独りでぶらぶら御歩きになっていらっしゃいました。
・・・略・・・
やがて御釈迦様はその池のふちに御佇みになって、水の面を蔽っている蓮の葉の間から、ふと下の容子を御覧になりました。
この極楽の蓮池の下は、丁度地獄の底に当って居りますから、水晶のような水を透き徹して、三途の河や針の山の景色が、丁度覗き眼鏡を見るように、はっきりと見えるのでございます。
するとその地獄の底に、かんだたと云う男が一人、ほかの罪人と一しょに蠢いている姿が、御眼に止まりました。このかんだたと云う男は、人を殺したり家に火をつけたり、いろいろ悪事を働いた大泥坊でございますが、それでもたった一つ、善い事を致した覚えがございます。と申しますのは、ある時この男が深い林の中を通りますと、小さな蜘蛛が一匹、路ばたを這って行くのが見えました。
そこでかんだたは早速足を挙げて、踏み殺そうと致しましたが、「いや、いや、これも小さいながら、命のあるものに違いない。その命を無暗にとると云う事は、いくら何でも可哀そうだ。」と、こう急に思い返して、とうとうその蜘蛛を殺さずに助けてやったからでございます。
御釈迦様は地獄の容子を御覧になりながら、このかんだたには蜘蛛を助けた事があるのを御思い出しになりました。そうしてそれだけの善い事をした報には、出来るなら、この男を地獄から救い出してやろうと御考えになりました。幸い、側を見ますと、翡翠のような色をした蓮の葉の上に、極楽の蜘蛛が一匹、美しい銀色の糸をかけて居ります。御釈迦様はその蜘蛛の糸をそっと御手に御取りになって、玉のような白蓮の間から、遥か下にある地獄の底へ、まっすぐにそれを御下しなさいました。

こちらは地獄の底の血の池で、ほかの罪人と一しょに、浮いたり沈んだりしていたかんだたでございます。・・・略・・・
何気なくかんだたが頭を挙げて、血の池の空を眺めますと、そのひっそりとした暗の中を、遠い遠い天上から、銀色の蜘蛛の糸が、まるで人目にかかるのを恐れるように、一すじ細く光りながら、するすると自分の上へ垂れて参るのではございませんか。
・・・略・・・
早速その蜘蛛の糸を両手でしっかりとつかみながら、一生懸命に上へ上へとたぐりのぼり始めました。
・・・略・・・
ややしばらくのぼる中に、とうとうかんだたもくたびれて、もう一たぐりも上の方へはのぼれなくなってしまいました。そこで仕方がございませんから、まず一休み休むつもりで、糸の中途にぶら下りながら、遥かに目の下を見下しました。
・・・略・・・
ところがふと気がつきますと、蜘蛛の糸の下の方には、数限もない罪人たちが、自分ののぼった後をつけて、まるで蟻の行列のように、やはり上へ上へ一心によじのぼって来るではございませんか。
・・・略・・・
自分一人でさえ断れそうな、この細い蜘蛛の糸が、どうしてあれだけの人数の重みに堪える事が出来ましょう。
もし万一途中で断れたと致しましたら、折角ここへまでのぼって来たこの肝腎な自分までも、元の地獄へ逆落しに落ちてしまわなければなりません。
そんな事があったら、大変でございます。が、そう云う中にも、罪人たちは何百となく何千となく、まっ暗な血の池の底から、うようよと這い上って、細く光っている蜘蛛の糸を、一列になりながら、せっせとのぼって参ります。
今の中にどうかしなければ、糸はまん中から二つに断れて、落ちてしまうのに違いありません。
そこでかんだたは大きな声を出して、「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸は己のものだぞ。お前たちは一体誰に尋いて、のぼって来た。
下りろ。下りろ。」と喚きました。
その途端でございます。今まで何ともなかった蜘蛛の糸が、急にかんだたのぶら下っている所から、ぷつりと音を立てて断れました。
ですからかんだたもたまりません。あっと云う間もなく風を切って、独楽のようにくるくるまわりながら、見る見る中に暗の底へ、まっさかさまに落ちてしまいました。

・・・・・後略。




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