欲しい物があるのに、欲しいと言わない。または何が欲しいのか漠然としていて、どこに向かって努力したらいいのか分かっていない。
夢や希望があっても、成り行きに任せて・・・と、強く望まない。
そんな人は、結局欲しい物は手に入らず、夢の実現もないままに時間だけが過ぎていくのを、たくさん見てきました。
なぜ実現しないのか?
それを紐解き整理して、順序立てて実現化へ進むようにワークショップに仕立て上げ、多くの方の実現化をお手伝いをしてきました。
その過程で、疑問を持つことがしばしばあります。
それは、多くの人が、自分の人生なのに適当に捉えていること。
自分はこんなもんだろうと、もっと上があっても自分には無理だと決めつけているのです。
または、決めつけるほど強い意識もなく、漠然と諦めている状態。
強く欲しがることは、執着心が強いとか強欲な人と思われてしまうから、そこまではやるのはかっこ悪い・・・などと言います。
はたして、そうでしょうか?
諦めている人は、欲しい物を探すにも、近場でチラッと見てみてなかったら、その中でマシな物を選んでしまうようです。
夢や希望が実現しない人は、ちょっとやってみて、それで上手く行かなかったら、自分には無理と手を引いてしまいます。
何故、そこでもう一回、もっと他にも目を向けて、思いつく限りのアクションを起こして、とことん自分の可能性にチャレンジしないのか。
やるだけやってダメなら諦めもつきますが、やりもしないで諦めるなど納得できるはずもなく、いつまでも心に尾を引くことになってしまうはず。
後悔をしたくないから、できる限りのことはやる。それが自分の人生を生きる力なのではないでしょうか。
さて、夢を諦めている人に対して、いつもそう言って励ましてきました。
私の中には、諦めなどないと、そう思ってきました。
ところが、諦めていることが見つかったのです。
成長の諦め。
勿論、限りなく成長するつもりで日々精進していますが、今生であきらかに仏陀のレベルまで到達するはずもなく、まったく考えたこともありません。
魂の転生から言っても、今回はせいぜい“ここらへん”と捉えているところを見ていました。
ここに諦めがあるなどと、思ってもみなかったのです。
仏陀のレベルなど、誕生の前から魂のレベルが違うのですから、目標にするはずもなく、しかし、見据えていても良かったのでは。
マザーテレサの足跡を見つめ、その心に近づきたいと精進してきましたが、漠然と届かないと諦めていたのでした。
私が指導してきた方々と、時限が違えど、諦めている人としては全く同じだったのです。
人が生きる力は、“そのことをどれだけ真剣に望み続けるか”で現されます。
自分の中に見つかるエゴなど怖くも何ともなく、発見できた自分を喜んで、癒し自浄し手放していく。
小さなプライドにしがみついて頑なになる人を見ると、成長のチャンスなのにもったいないことだと思ってきました。
しかし、個人的なエゴに捕まらないからと言って、人間的なレベルに甘んじていたことは、人生と言う成長のチャンスを使いこなしてはいなかったのです。
その結果、そこそこの能力で納得してしまっていたのだと分かったのです。
スピリチュアルビジョン。
オーラもチャクラも色鮮やかに見え、人の周りの存在達からメッセージを受け取り、パワフルなヒーリングができる。
それで充分じゃないかと、授かった能力に限界を設け、それ以上になることを諦めていたのでした。
たとえそれが無意識だったとしても、だからどこかイマイチパッとしない自分だったのです。
勿論、とってもパッとしているつもりでいたのですから、見えていないとはこういうことなのですね。
自己実現のワークショップに参加される皆さんが、すぐそこに、手に届くところに欲しい物があるのに、諦めていることに気付かないこと。
ほら、こちらに、このやり方で。
それを伝えても、抵抗やら不安やらでじりじりと歩みが遅く見える。
スピリチュアルな導き手達から見ると、私も同じく、じりじりと抵抗や不安を振りかざし、たらたらと遅い歩みに見えることでしょう。
さあ、もう気がついたのですから、仕方ない。魂の実力を発揮して前進しますか。
どうせなら、どこまで仏陀に迫れるのか、チャレンジするのも悪くありませんね。
それを真から望むこと。自分に一切の限界を設けないこと。それが魂から授かった“生きる力”なのだと分かりました。
合掌。
■寺尾夫美子公式サイト フムアルフート
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