以前、父の友人と名乗る存在に憑きまとわれてしまい、大変な作業を強いられたことがあります。
その人は、ハワイで亡くなったとかで、私がハワイへ旅行に出かけたおりに出会い、一緒に帰国してきたと言うのです。
父の友人なんて知ったこっちゃないし、そんな友人がいたなんて父から聞いたこともありません。
でも、その人は私に浄霊してもらいたいと願っていると言うので、渋々やることにしました。
霊について個人指導をしていただいている先生に方法を教わり、個人セッションや自分の都合を全部空けて、その人のためにお写経から始めました。
海で亡くなったというその人は、お写経が始まると本格的に私のスピリチュアルエナジーを呼吸し始めました。そういうことをされると、生きている人間にとっては大変しんどく、疲労感がきつくなり、心にはどこからともなく悲しみやイライラがやって来ます。
自分をしっかり保つ力がないと、その負のエネルギーに引っ張られ、自分の感情と重なり合ってしまい、意味なく苛立ったり泣いてしまったりしてしまいますので、誰でもできることではありません。
その事に専念して、毎日一枚二枚とお写経をこなしていくと、一枚書き上げる度に体が楽になります。全身に水が溜まったような重い感じから始まり、呼吸が息苦しかったり、悲しみが溢れてきたり、自分の気分が揺れ動くのを傍観者のように観察しながらの作業でした。
その人が死に直面したときの苦しさを、そのままエネルギーを通して体感しているのです。勿論、私のスピリチュアルエナジーを分け与えながらの作業なのですから、私の体もくたくたです。
しかし、少しずつ軽くなる体を感じていると、暗闇の中で彷徨っていたこの人の苦しみが、癒されてきているのが分かりました。
初めは、どうして私が頼られなければならないのかと、依存されることへの苛立ちと、自分の都合を奪われる面倒くささとが相まって抵抗がありましたが、居座られるとしんどいので、ただただ楽になりたくて引き受けたことでした。
しかし、次第に軽くなる体と、その人から何となく伝わってくる感謝の気持ちとが、私に最後までお写経をやり遂げさせたのです。
また、書くほどに軽くなる体によって、しっかりと書き上げて早く楽にしてあげようと考えるようになりました。最後の一枚を書き上げたときは、心も体も軽く、とてもすがすがしい気持ちにもなりました。
父の友人と称するその人が、長い苦しみの囚縛から解放されて、天に還るときが来たことが分かります。
最後にお見送りの儀式を行い、祈りを捧げていると、えも言えぬ愛のエネルギーに包まれました。天に還る道、ダイレクトに天界のエネルギーが流れ込み、その人の感謝と喜びが感じ取れました。
魂を見送る感動を体験したのは、この時が初めてでした。
魂を招き入れる誕生も、それはそれは素晴らしいものがありますが、天に見送る感動も、同じように素晴らしいのだと初めて知りました。そんなお役目を託してもらえたこと、総てを終えてみると、ことの大きさに驚きます。
指導して下さった先生に報告すると、“そんな感動があるからこのお仕事が続けられるのですよ”とおっしゃいました。
本当に、深く深く納得しました。
霊に取り憑かれると、誰でも気味悪がり、直ぐに払いのけようとします。残念なのは、嫌がれば嫌がるほど霊の気持ちと重なり合い、チャクラの中まで入り込まれてしまうことです。
ヒーラーをしていると、本人の心の問題以上に、そういうことについての無知からより深く影響されているケースに出会います。
人に頼りにされる人は、霊にも頼りにされます。ヒーラーを目指して勉強していると、成長の過程で低い霊に関与されてしまう時期があります。生まれもってのサイキックな人によくある現象ですが、そんな体験こそが有能なヒーラーを育てていくのです。合掌。
スピリチュアルヒーラー 寺尾夫美子の個人セッション
http://www.fumalhut.com/seminar/fulfill_session/index.html